いつもまっ白いキャンバスに、そんな気持ちでのぞみたいと思う。スケッチに向かう時は、いつも
期待と不安で入り交じった気持ちになっている。期待、それは、制作への予兆、新しい自分との
出会いでありたい、不安は漠然としたものだ
自分という存在そのものかも知れない、でもこの不確定性が大切だと思っている、きめつけは
避けたい。しかし取り組む前にあれこれ悩むのは、自分の浅はかな思い上がりだと知るのである。
イーゼルをたて大自然を目の前にするといろいろな迷いは、次第に消えてゆく。目の前のどこま
でも続く広く高い空は、これから始まる制作へのプレリュードとなる、白くぽっかり浮かんだ雲に、
空間の在りようを教えられ、重なり続く山並みの律動感ではレイアウトを、やがて川や海の大きな
流れがムーブマンとなり、そして林や森がハーモニーを醸し出し花々の輝かしさがアクセントとな
って自分を導いてくれる。気がつくといつの間にか、その世界に入り込んでいる自分がいるというか、
しかし実際は、無我夢中で描いているうちにいままでにない表現ができたり、何かが降りてきて自分
では想像もつかなかった絵がキャンバスに出来てくることがあり、このプロセスがたまらない。      
 「光陰矢のごとし」「行く川の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず」、古人の言葉が感覚とし
てわかる年になってきた。目の前の生活に追われる暮らしをしていると、日々の季節の移り変わり
や花々の変化など目に入っているのに見えていない。スケッチは、特にここに行きたいというこだわり
はないのだが自然といくところが決まってくるから不思議だ、一カ所を描き続けるという姿勢もあると
時々思う、しかし気分次第で決めるといういい加減さが自分にはあっている。風景画は、なんといっ
てもやっぱり現地で描くのが一番だ、臨場感と言うより臨感動感というかだいいち気持ちがいい。  
絵空事で現実、現実で絵空事、どこまでもつづく果てしなさを求め今日も気まぐれに旅に出かけてゆく。